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本を読むことだけが好きだった。

活字中毒です。実生活にまったく活かせてないですが。

「連戦連敗」安藤忠雄

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  1970年代の初め、私達の世代が建築家として出発したときも状況は似ていました。いわゆるオイルショックに端を発した不況で、小規模の設計事務所には小さな住宅の仕事が時折入るのみ。建築ばかりでなくほかの分野においても、若くして独立を目指した人は、多かれ少なかれこのような苦しい時期を過ごしていたと思います。しかし皆、自ら選択した道に希望を忘れなかった。私もまた、自閉的に閉じこもるものではなく、厳しくとも社会の中でゲリラ的に生き抜く道を選びました。ギリギリの状況に追い込まれれば、人間は考えざるを得ない。何をしたいのか、そのためには何をするべきか。

 建築は闘いです。そこでは緊張感が持続できるか否かに全てがかかっている。緊張感の持続と物事を突き詰めてその原理にまで立ち返って組み立てなおす構想力こそが、問題を明らかにし、既成の枠組みを突き破る強さをもった建築を生みだすのです。

 自分を鼓舞しようと引っ張り出して読み返してを繰り返し、結局変わらない自分を見出す。

「こんな日もあるさ」上原隆

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「ねえ」私はノートを返しながらいう。「江藤さんは高校生のとき、自分の将来をどう思い描いてましたか」

「高校生のときですか」江藤が目を細める。「進学校に行ってたし、勉強も嫌いじゃなかったから、漠然とですが、将来は中の上くらいの暮らしをしてるかなと思ってましたね。世の中もボクを受け入れてくれて、それなりに処遇してくれるだろうって。甘かったです」 

高校生のときには、確かに自分の現在を全く想像はできなかった。

想像していたほど苦しくもないし、楽しくもない。

「奇蹟の画家」後藤正治

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自身も絵も、このまま誰にも知られず観られることもなく朽ち果てて土に還ればそれでよい  。 そう言い聞かせてはいたが、空漠たる思いにとらわれることもいかんともしがたい。

 

ここまでほとんどなすすべもなく歳月が流れていった。ふと自身の人生はなんであったのか、このままでいいのか、この先どう生きていくべきか、と思いやるのであるが、答えは浮かんでこない。

 

ものを書くことを志し、本を出しはじめて間もなくの時期であったから二十数年も前のこと。銀座で画廊を開いていた老画商に、いい絵とはなんですか、と訊いたことがある。深夜のバーのカウンター。画商は出版社の担当編集者の知人で、たまたま隣り合わせに座った人だった。酔った席での戯れ言である。老画商はこう答えた。  ビジネスを抜きにしていえば、普遍的にいい絵というものはなくて、あなたに何事かを語りかけてくる絵があなたにとっていい絵です、と。

 

最近は答えばかり、即効性のあるものばかり、求めて、磨り減っている。。

語りかけてくるものを受け取れるだろうか。。